学歴社会は無くならないと思う。〈「モラルの高さ」と「性格の明るさ」と「会社の都合」の3点で〉
【学歴は“何の”指標になりえるか】
ついでに高学歴を目指す言うほど語られていない理由も語る。
中学→高校→大学に進んでいくにつれて上がっていった偏差値。その経験の中で学んだ事とは!
高学歴な環境ほど……
1.モラルの平均値が高い! 話す言葉に問題を起こしそうな“悪さ”が含まれていない。
2.性格が明るい人が多い! ので接する際に“難しさ”がなく、付き合いやすい。
3.楽な相手を見つけようとする鬱陶しい人がいない! 限りなくいない。実はこれが若い受験生さんにとっては高学歴を目指す一番身近な理由かも?
「頭が良く」て「気難しい」人っていうのは実は少数派なんですよ!
高学歴はプライドが高いと言われますが、それよりも社交性の高い人の方が多い。
「何らかの“あからさま”な長所を持ち」「それゆえに気さくで感じのいい」人が大多数です。
なので偏差値の高い大学に合格するということは、“明るい人達に囲まれて4年間を過ごす”ということになります!
勉強する意味があるのではないでしょうか?(家庭教師や塾の人に聞いてみて! アナタの通っている大学に嫌な奴はいるかと)
そんな積極性のある“高学歴の人”のあからさまな……ちょっと接するだけでわかる発散した長所。羨ましいなと思ってます。
記憶力テストの成績の良さ、大切な点をわかっているが故の気楽なモラル、喋りやすい雰囲気、可愛らしい個性……。
まさに「採用したくなる人物」ではないでしょうか!
明らかなことは……企業というものは、
「有能だが簡単に犯罪を犯してしまいそうな人」よりも「わかりやすい性格でそれなりの強みが見える常識者」を採用したい。
当然ですね。
ポイントとなるのは“誰が”その判断材料を渡せるのかということ。
モラルがあるのかどうか……その指標として残念ながら学歴が有効に働いてしまうのです。
なぜなら学歴は、
長時間椅子に座って我慢強く勉強してきた……我慢が出来る! という判断材料になるからです。
学歴のない人が不利になるのは「犯罪を犯すか、問題を起こすかどうか」という点で判断材料を与えるのが難しいからです(“バイトリーダーの経験”が“学歴”を倒す日は来ないだろう)。
でも! 逆に言うことも出来ます。その大学生活で真摯な態度でコツコツとやってきたことがあるなら……それが自分の頭で考えてきた事なら。
「この人は信頼できる! 」と人事に思わせられたのなら学歴は不利にはならない。
というよりむしろ、それでも不利になるような会社はその程度の会社なんだと諦めて。
どうやって“信頼”を勝ち取るか。
高学歴の人には“緩さ”という弱点があるから……「何をどんな風に考えて日々を送ってきたか」を話して自分は信頼出来ます! とアピールしましょう。その主張には強さが宿ると信じてます!!
なお、自分に都合の良い努力は〈割と〉〈マジで〉〈簡単に〉……見透かされます。お客さんのために生きてる大人達を舐めちゃいけないよ。
(私立については全くわかりません。あくまで国公立の話として捉えてください)
【そして“面白い”からは遠ざかり】
学歴は企業を存続させる点において“信頼の指標”として使うことが出来る。
では、今の学歴社会がクリエイティブな分野にどのような影響を与えているのか……について語っていきます。
高学歴の人を採用すれば、
「どう作るか」という点においては役に立つでしょう。沢山の知識は有利に働くでしょう。効率化も図れるでしょう。
一方「何を作るか」という観点からはプラスにならないでしょう。多く見える景色は自信を無くさせるものだから。
結局「作りたいモノ」という価値存在は、社会に対する不満から噴出するモノです。
……性格の明るい人にそんな欲求があるのでしょうか? 高学歴であるがゆえ働く環境も悪くない人達に今を変えたいと思える理由があるのでしょうか? リスクを負う動機があるのでしょうか?
昔々「作りたいモノを作る」という単純な作業に入れたのは、作り手側が面白いという確信を“持てて”いたからです。
……今は自分の作ったモノを製作者自身がずっとやり続けているのだろうか? 自宅で流しているのだろうか? 上司は部下に“面白いモノを作った”という経験を植えることが出来ているのだろうか? その経験を知らない若者に何を期待しているのだろうか?
社会に対してどれだけ不満を持っているかがこれから作るモノの“内容の深さの最大値”を決めている。
この点が“高学歴”かつ“性格の良く”、“問題を起こすという厄介な行動をそもそも知らない”人の適用性の無さの理由だと思う。
クリエイティブな作業での。
「その最大値の内どこまで深く入っていくのか」は本人次第ですが、「どこまで深くなれるか」は最初から決まってる。どんな苦痛を味わってきたかで。その人生において。
「モラルが高く」「持って生まれた環境の特段の悪さの無き明るい人」に、どれだけの“最大値”が映されているのか……と疑問ですね。その人に何が含まれているのか。
内容ある作品を作るためには……多くの人の心に沈んでいるあの作品群に並ぶためには、苦しんでいる人を想像出来なければならない。
目に見えない苦しみを、目に写さないといけない。
「会社を存続させる、維持させる」という点で学歴で判断することが理に適っている以上、これからも『学歴社会』は維持されるだろう。
そしてクリエイティブの領域はどんどん落ち込んでいくかもしれない。それを自覚しなければ。
高学歴の人を採用するということは、作業の流れをシステム化するということ。
安定している人の作った……良くない環境で育った難しい人間を遠ざけた人達の作った、
システムは人の懸命さを失わせるものだから。
チャンスは一体誰にあるのか。
誰のために仕事をするのか。まだ会ったこともない見たことのない人達のためか。
お客様も含めて“我らが手の届く範囲の人達”のためか。
そうじゃないだろうか。
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